분류 전체보기 (490) 썸네일형 리스트형 17-3. <朝日新聞>のダイナマイト爆発事故報道 以下は、東京の記録学専門家、功刀恵那先生が朝日新聞のデータベースを検索してご覧いただいた、『朝日新聞』東京版と大阪版の記事である。 二つの記事は大同小異であり、間違いや誤字まで同一であることから、一つの記事がほぼ異なる記事を転載したものと思われる。 (タイトルと小見出し)「ダイナマイト爆發/ 四名死傷す/ 寶塚奧のトンネル工事に/ 焚火で乾かすうち」 (記事本文)「二十六日午前八時半ごる兵庫寶塚奧の長尾山中福知山線六號トンネルの溝掘工事に使用するダイナマイト十本が氷結して使へなくなくつたので朝鮮人土工三名が金網の上にのせて焚火で乾かす內過つてその內の一本を火中に取落したため十本が轟然爆發し土工尹吉文一(21)吳伊根(25)の兩名は約二十間ほど刎ね飛ばされ身體はパラパラになつて慘死し、土工頭伊日善(25)は大腿部に重傷を負うて昏倒し、近くの小屋で炊事中の同人妻揚時善(19)は顔面に輕傷を.. 17-2. ダイナマイト爆発事故を報じた「神戸又新日報」記事 以下は鄭世和先生が神戸中央図書館で見つけた1929年3月28日付けの『神戸又新日報』の記事全文である。 この記事も鄭鴻永先生の著書『宝塚と朝鮮人』の資料編にスクラップされていた。 そして『宝塚と朝鮮人』第1部2章の内容から見て、この記事は『神戸新聞』の記事とともに最も多く参照された基礎資料であると考えられる。 (タイトルと小見出し)「ダイナマイトが爆發し/ 四名その場で死傷/ 雷管を焚火で乾燥さした/ 長尾山トンネル入口の椿事」 (記事本文)「二十六日午前八時ごろ川邊郡西谷村桐畑長尾山第六号トンネル入口(神崎起点十五マイル東方)で省線福知山線の改修工事に従事中の朝鮮慶尚南道固城郡固城面鮮人尹吉文(21)、尹日善(25)、吳伊根(25)、金時善(19)の四名が巖石爆破作動中、ダイナマイトが氷結して爆破しないので、焚火をしてダイナマイトの雷管を乾燥しやうとしたところ、 「あやまつて雷管に引.. 17-1. <神戸新聞>のダイナマイト爆発事故記事 下は鄭世和先生が神戸中央図書館で見つけた1929年3月28日付のの記事を転載したものである。 鄭鴻永先生の著書『歌劇の街のもう一つの歴史:宝塚と朝鮮人(1997)』の付録編にも載っているこの記事は、朝鮮人労働者2人が死亡し、3人が重軽傷を負った福知山線鉄道改修工事中に発生したダイナマイト爆発事故を報じたものである。 (タイトルと小見出し)「なんと横暴なことか!ダイナマイトを焚き火で乾かして2人が悲惨な死に方をし、3人が重傷を負う川辺郡鉄道トンネル工事現場の惨事」 (記事本文-段落番号は筆者が付けたもの)(1)「鉄道省線(=今日のJR)福知山線の改修工事に従事中の朝鮮慶尚南道生れ尹吉文(21)同尹日善(25)呉伊根(25)余時善(19)呉伊目の五名が、他の多数の鮮人土方と共に川邊郡西谷村桐畑長尾山第六号トンネル入口(神崎起点十五哩)で工事中、 (2)「この工事に使用するダイナマイトが氷結.. 17. 慶尚南道固城, 殉職者たちの故郷 私が鄭鴻永先生の著書『歌劇の街のもう一つの歴史:宝塚と朝鮮人』を読み始めたのは鄭世和先生が写真に撮って送ってくださったその本のチャプター2つからだった。 この本は1997年に初版が出て以来絶版になったためアマゾンでも買えなかったのだ。 ところが、約一週間後、鄭世和先生はその本を郵便で送ってくれた。 本の内容に対する質問が多くなると、いちいち写真を撮る煩わしさを避けて、ただ本全体を速達で送ってくださったのだ。 著者である父親の最後の所蔵本ではないかと思ったが、快く送ってくださったことがありがたかった。 私は気を引き締めて調査にはげむことにした. 『宝塚と朝鮮人』を読んでみると、鄭鴻永先生は歴史学を専攻したわけではないが、非常に実証的な研究をしていたことが分かる。 この本の第1部に収録された12の論文一つ一つが現場を直接踏査し、現地人の口述を土台に書き下ろされた充実した記録だった。 福知山.. 16. 4つの新聞記事と3枚の埋葬認許証 『宝塚朝鮮人追悼碑』は、4つの新聞記事と3枚の埋葬許認可証から始まった。 など4つの新聞の1929年3月28日の記事と西谷村長が発行した死者の埋葬許可証がそれだ。 この二種つの基礎資料が発見された経緯は、鄭鴻永の著書『歌劇の都市のもう一つの歴史:宝塚と朝鮮人』(1997、以下「宝塚と朝鮮人」という。)に記されている。 鄭鴻永先生は1985年春、3人の朝鮮人死亡者に発行された埋葬許認可証を初めて入手した。 彼が年明けから「宝塚市制施行以前の良元·小浜·長尾·西谷各村の資料の中に朝鮮人に関する記録が残っているかどうかを調査」していたところ、宝塚市史編纂室の編集担当主事若林泰さんから3枚の埋葬認許証のコピーを入手したのだ。 鄭鴻永先生はこれを根拠に神戸水道工事(1914-15年)中に死亡した朝鮮人労働者3人に対する調査研究を始めた。 一方、1993年3月25日、鄭鴻永先生は朝鮮人関連の新聞記.. 15. 宝塚外国人市民文化交流協会と木蓮会 「宝塚朝鮮人追悼碑」に刻まれた碑文によると、この追悼碑の建立を担当したのは「追悼碑建立の会」と「宝塚市外国人市民文化交流協会(以下「交流協会」)」、「木蓮会」の3団体である。 追悼碑建立の理由と日付の次にこの三団体の名前が並んで刻まれている。 鄭桂香先生の論文(19:146ページ)は、3団体を比較的詳しく記述している。 最初にできたのはである。 1990年代初め、金禮坤(キム·イェゴン)先生が自分の会社に日系ブラジル人を数十人雇用し、彼らが経験する言語問題と居住問題を解決する過程で「交流協会」を設立した。 最初は外国人の問題を解決するために活動したが、時間が経つにつれ、在日朝鮮人のための活動の比重が大きくなった。 創立者で初代会長の金禮坤先生が在日朝鮮人で、宝塚に居住する外国人の大半が在日朝鮮人だからだ。 金禮坤先生の事業経営過程を通じて作られた広い交流範囲のおかげで、には宝塚や神戸な.. 14. 『宝塚朝鮮人追悼碑』の洗練されたデザイン 「宝塚朝鮮人追悼碑」は、非常に洗練された碑石である。 朝鮮人強制連行真相調査団が編纂した『朝鮮人犠牲者追悼碑(2019)』には、日本全土に散在する170余りの追悼碑が収録されている。 本書が出版された後に建てられた『宝塚朝鮮人追悼碑(2020)』はここにはないが、他のどの追悼碑と比べてもその現代的感覚と洗練されたデザインが目立つ。 追悼碑は上下2つの長方形の石が重なって作られており、それぞれの縁には石を切るために穴をあけた跡がそのまま残っている。 前面には「越鳥南枝」の字を中心に、上の石と下の石にそれぞれ三本ずつの線が右上から左下に引いてあり、字の上方には両側に二人の幼い天使の姿が青銅の彫刻で付着している。 下の石にも花を描写したような2つの小さな青銅の彫像が添えられている。 石と文字と装飾物が全体的にバランスよく配列されており、陰刻で刻まれたの行書体の大きな字と、やはり陰刻で刻まれ濃.. 13.切畑の福知山線鉄道工事 <殉職者の碑> 보호되어 있는 글입니다. 이전 1 ··· 56 57 58 59 60 61 62 다음