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최승희100장면

[崔承喜 100シーン] 49. 崔露沙と「泉のほとりで」

金日成賞桂冠詩人崔露沙とは彼女代表作のほとりで」(1951はどのようにまれたのか崔露沙のほとりで崔承喜振付した2のほとりで」(19351957関係があるのだろうか

 

2011312日付北朝鮮<朝鮮中央通信>詩人崔露沙1931-2011くなったとじた享年80彼女崔承一石金星長女であり崔承喜でもある

 

 

崔露沙という名前父崔承一砂浜のようにつようにけた名前ともわれポーランド出身のマルクス主義理論家革命家でもあるローザ・ルクセンブルクRosa Luxemburg, 18711919名前音写したものだと説明されることもある後者父崔承一々の意図であり前者ロサという名前漢字きながら考案した二次的説明であると判断される

 

詩人崔露沙代表作のほとりで」(1951という歌詞である在日本朝鮮文学芸術家同盟のウェブサイトは2023715日付記事のほとりで解説掲載しておりこの金日成大学国文学科在学生であった18崔露沙朝鮮戦争中入隊看護兵として東部戦線野戦病院勤務しながらいた作品だとべている

 

1951のある負傷兵護送任務遂行していた崔露沙ある農村のほとりで兵士たちとたちが会話している様子、「むために背負ってかけたらという言葉まる416のほとりでいた翌年1952)、国立芸術劇場作曲家ユン・スンジンがこのけたところこの放送口伝北朝鮮全土急速まりでも北朝鮮代表的戦線歌としてげられているその歌詞りである

 

 

(1) げるためにせてかけたら/ 洗濯をしていた兵士がこっそりってろをった/ かにていると腕前不器用/ ずかしくてもいましたってあげましょうか

 

(2) げるためにせてかけたら/ っている同志たちがみました/ しい少女同志一曲歌ってください/ ずかしくてもいましたノドゥル川辺

 

(3) げるためにせてかけたら/ 愛着のある同志たちが前線へとっていっ

ています/ いでのほとりでいたツツジのんでしながら/ 何度いました勝利にまたてください

 

崔露沙ユン・スンジンののほとりで戦後人気歌謡としてわれ金日成主席著作集20334ページ過去祖国解放戦争時まれたのほとりででもわれておりその群衆性があり生活実感的反映しているからだ評価崔露沙金日成賞桂冠詩人称号

 

崔露沙叔母である崔承喜1935たタイトルの舞踊作品振付したことがある。 「のほとり」(1935という作品朝鮮語日本語のニュアンスのいをけば崔露沙のほとりでとタイトルがじだとえるこの作品19351026兵庫県神戸八千代座公演崔承喜弟子である金敏子によって独舞として初演されその後岡山公演でも再演されたことがある

 

 

崔承喜のほとり背景音楽フランツ・リストFranz Liszt, 18111886のピアノであったと推測されているリストの独奏組曲巡礼Années de pèlerinage, 1842)』1スイスSuisse)」4のほとりAu bord d'une sourceである

 

このピアノかでありながら技巧れた作品リストのピアノでも演奏されているであるなく演奏される高音のアルペジオはれる連想させる非常表現力かな作品である

 

崔承喜神戸公演のほとり発表したとき崔露沙はわずか5だったので叔母作品っているはずがないまた崔承喜のほとり弟子によって日本神戸岡山公演でのみ上演されその後再発表されたことはないためずっと朝鮮生活していた崔承一崔露沙崔承喜のほとりっていた可能性はほとんどないそれでも叔母20たようなタイトルの作品発表したのは不思議なことだ

 

ロシアにものほとりというがある1944ロシアの詩人セルゲイ・アリモフ(С. Я́. Алы́мов, 1892-1948)アナトリー・ノビコフ(А. Г. Но́виков, 1896-1984)をつけたウ・クリニチ(У криницы)」がそれであるその歌詞りである

 

(1水汲みに らがしていた/ 若者がここへたら たいあげましょう/ 牧場にひげ兵士がやってきて/ たいみたいと らにんだ

 

(2) ふたものいで ひげもびたのさ/ このむさくるしいなりを さんしてくれ/ そこへ床屋兵隊ひげまれ/ 若者魔法ったようになった

 

(3) らの らかにこる/ 三人愉快そうに になってした/ えバイヤン調べを える/  えぬ人民

 

(4) しみのぎた しばらくさようなら/ 平和って またみんなでろうよ/ のようにけてゆく 勝利日目指/ 若者名残はつきぬ れる

 

(サビ) しいさん ひげるな/ 兵士にゃひげもいものじゃない/ 陽気若者

 

作品題材のほとりで出会った兵士とおさんたちの対話である、「ウ・クリニチのほとり類似しているただし、「ウ・クリニチ(1944)のほとり(1952)より8年早前者二次世界大戦中(1941-1945)後者朝鮮戦争(1950-1953)背景である

 

 

ウ・クリニチナチス・ドイツの侵略かうソ連兵士らを応援する処女たちの姿いている19416からドイツ侵攻により多大犠牲ったがモスクワとレニングラードをいた侵攻方向えたドイツ1942にスターリングラードを攻撃したがしい消耗戦194322にソ連軍はドイツ撃退したスターリングラードのいの勝利連軍人民にとって回復希望転換点となった

 

スターリングラードの勝利直後作曲され普及した歌謡曲ウ・クリニチだった戦闘とひげがれた兵士たちとらがいたおさんたちのりをいただった3最後部分にある えぬ人民という歌詞この戦争れたロシア人民闘争勇気えるために配布されたものであることがかる

 

ウ・クリニチ日本でものほとりというタイトルで翻案さればれたこのはかつて文部省公認した一部音楽教科書にも掲載されたことがある第二次世界大戦においてソ日本同盟国であるドイツの敵国であったため日本にとっても仮想敵国であり実際19458日本宣戦布告攻撃開始したそれでも戦後日本人がロシアのウ・クリニチんでっていたという不思議だったおそらく日本国内社会主義革命家たちが歴史上初めて社会主義国家建設したソ同調ロシアの々がんでっていたウ・クリニチらも一緒ったのではないかと推測するだけだ

 

 

朝鮮歌謡のほとりで戦後われ演奏され牡丹峰樂團女性5重唱団ったのほとりではソウルでも公演されたことがあるこの公演歌唱担当した歌手パク・ミギョンキム・ソルミチョン・スヒャンキム・ユギョンパク・ソンヒャンの5だった

 

のほとりではタップダンスバージョンで演奏されることもあるYouTubeには2017旺載山輕音樂團のほとりでをタップダンスに編曲して演奏した作品がアップされておりメロディは原曲そのままだが5女性タップダンサーと1男性タップダンサーの演奏きが軽快でダイナミックだ

 

朝鮮にはのほとりで」(1972という舞踊作品がもう存在する7女性ダンサーが出演する群舞作品である。 『朝鮮芸術文化辞典(2006)によればこののほとりで1972万寿台芸術団振付した作品咸鏡道民謡ドンドラリ旋律背景音楽として使用したとらかにされている

 

 

ドンドラリ咸鏡南道北靑地域民謡である。 「ドンドラリ夜明けのされることで変形した言葉だとわれているすなわち日本による植民地時代朝鮮民衆夜明けのすなわち解放づくという意味解放ってっていた民謡であると説明されている

 

民謡ドンドラリ歌詞がそれほどくなく、「ドンドラリという言葉されるのが特徴だがこれは民謡最初からりとわれていたからだつまりりをしながら歌詞うのがしいため、「山川」、あるいは山川などの断片的表現合間ドンドラリリラリラリなどのサビを無限すのである

 

 

一方民謡ドンドラリ背景音楽として使用振付された舞踊作品もある万寿台芸術団8女性ダンサーが出演するドンドラリというタイトルの舞踊作品がそれだ女性7群舞のほとりで女性8群舞ドンドラリ出演者数だけでなく小道具にもいがある。 「ドンドラリではさなかごをせてるが、「のほとりででは水瓶背負って

 

崔露沙/ユン・スンジンの歌謡 のほとりで伴奏音楽として使用されその歌詞内容舞踊きで再現した作品もある女性ダンサー4男性ダンサー3出演する混成群舞この作品では女性ダンサーは水桶男性ダンサーはきな小道具として使用する

 

一方女性7群舞としてののほとりで水瓶ともばれるがこれは舞踊家たちが上演中水瓶小道具として使用するためであるさなひしゃくで水瓶れる様子水瓶せてるシーンそして水瓶りながられるでこすりるシーンなどは非常表現的である

 

女性7群舞のほとりでどころは7のダンサーが水桶せて高速回転する様子にリーダーであるダンサーは6のダンサーよりも奇跡回転動作披露そのには観客拍手自然こる

 

のほとりで朝鮮舞踊特有くてのあるきが大筋すが各動きをつなぐにはいわゆる屈伸技法強調するためきときのらかにびつききに弾力まれリズムまるのが特徴である

 

 

水瓶独舞でも上演されその子供舞踊であるYouTubeには2012朝鮮少年団創立66周年記念行事万景台学生少年宮殿のリ・グァンヨン学生上演した水瓶がアップされており可愛らしいダンス動作とともに水瓶妙技動作感嘆んでいる

 

今日では在日朝鮮学校舞踊部でも女性7団体舞踊のほとりで女学生独舞水瓶頻繁上演されておりもともと女性7団体舞踊として創作されたのほとりで=水瓶日本中国同胞披露する女性舞踊家人数6から8わることもある

 

 

万寿台芸術団のほとりで1972とは区別されるもうつののほとりで」(1957がある1957モスクワで開催された6回世界青年学生祭審査員として参加帰国した崔承喜同年93労働新聞々の舞踊芸術経験課題という題名記事寄稿した

 

この記事崔承喜のほとりで朝鮮人民時間をかけてらの労働過程創造した民謡のリズムと密接びついた舞踊動作整理した作品であり、「世界130から参加した舞踊家たちから評価けた記述した

 

ただしこののほとりで」(1957背景音楽がどの民謡であったかは確認されていないがもしそれがドンドラリであったならこの作品万寿台芸術団創作したのほとりで」(1972先行作品なすべきである

 

今日朝鮮在日朝鮮学校では崔露沙作詞したのほとりで」(1952民謡ドンドラリ伴奏音楽にした舞踊作品のほとりで」(1972)、そして水瓶頻繁上演されているそれだけ歌謡界だけでなく舞踊界にも崔露沙影響きかったことがかるただし崔承喜振付した1935のほとりでられ1957のほとりで現在ドンドラリのほとりで」(1972振付影響えたと推測される

 

 

崔承喜1952功労俳優1955人民俳優称号約半世紀後2001崔露沙金日成賞桂冠詩人指名された崔承一朝鮮最高芸術家がるのにきな役割たしたのである(jc, 2024/9/6; 2026/6/19) 趙正熙