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도쿄1934공연

【東京1934公演】 21.公演2部(9) <エヘヤ·ノアラ>

崔承喜東京デビュー公演24番目エヘヤノアラプログラムにはこの作品のように紹介された

 

9. エヘヤノアラ, 朝鮮古典 篠原正雄編曲, 崔承喜

 

タイトルと伴奏音楽編曲者出演者だけを提示するだけで解説がない解説省略したのは1希望いていて2番目である3でも石井漠実演したポエム解説がない3作品共通点石井舞踊団公演ですでに何度上演されていることだ観客馴染みのある作品には解説けなかったのだ

 

 

エヘヤ·ノアラ日本初演されたのは1933520雑誌社令女界主催日本青年館かれた近代女流舞踊大会だったこの大会には石井舞踊団代表として石井みどりが参加することになったがみどりが大会えて急性肋膜炎ったため石井漠彼女代打崔承喜大会参加するようにした崔承喜創作作品現代舞踊エレジー朝鮮舞踊エヘヤ·ノアラ発表した

 

エヘヤ·ノアラ創作時期193333から520とされている崔承喜自叙伝(1936)のようにされているからである

 

この最初發表したものがサラサーテのロマンサ·アンダルーサつてられたデニエツト希望いてでありいでられたのが朝鮮古曲によつて朝鮮固有山育鍔廣帽つてエへヤ·ノアラですれも石井先生新作發表會めて發表してひに好評しました。」

 

朝鮮女性雑誌新女性19345月号崔承喜エヘヤ·ノアラ1933年日比谷公会堂再上演されたと叙述したそれならこの作品19335日本青年館11日比谷公会堂19349日本青年館日本ではなくとも3回目公演であるわけだ

 

 

ところがこの雑誌はまたエヘヤ·ノアラ1931作品だと叙述した意外この作品19335初演されたとよくられているからだしかし高嶋雄三郞評伝崔承喜(1981[1959]:118)』、『エヘヤ·ノアラ1931にソウルで初演されたとべているそのため、「新女性報道誤報として片付けることはできず調査めなければならなかった1931崔承喜新作発表した公演6であり各公演発表された新作りだ

 

(1)110-12団成社かれた3回発表会新作:らのロマンス」、「郷土舞踊農村少女」、「狂想曲」、「らの行進4作品

(2)27京城公会堂開催された<2回舞踊発表会>新作:<放浪人しみ>

(3)38禮山劇場神明幼稚園後援のためのイェサン公演新作:歌悲」、「勇者」、「遊戯」、「かしむ4作品

(4)51~3団成社かれた3回新作舞踊発表会新作:子供舞踊?」>、『たちのカリカチュア』、『チゴイネルワイゼン』、『南洋』、『悲歌』、『って花嫁たち』、『躍動』、『荒野って』『子供舞踊·』「がらないようになど10作品

(5)91~3団成社かれた<新作舞踊発表会>新作:<世界><自由人><土人哀史><未来青年のものだ><人造人間><絶叫><のような>、〈苦難〉、〈異国〉、〈暴風雨〉、〈十字架など12作品

(6)1023京城公会堂かれた養賢女学校後援公演新作:<番外郷土舞踊>

 

この6公演発表された新作舞踊全部32作品だったがこれにエヘヤ·ノアラまれていないそれでは<エヘヤ·ノアラ>のタイトルで発表したという意味だが上記32作品でどれが<エヘヤノ·アラ>だったのか

 

 

<エヘヤ·ノアラ>朝鮮舞踊であり男性役独舞だったので、「現代舞踊女性役」、「重舞群舞けばたった1つの作品それは193151-3団成社公演崔承喜独舞初演されたたちのカリカチュア

 

筆者らのカリカチュア1931)』エヘヤ·ノアラ1933)』原型または前身としてるのはこの作品石井漠作品カリカチュア(1926)』関連しているからだ

 

石井漠カリカチュア19263京城公演断行した直後創作されたカン·イヒャン1993:52によると石井漠京城駅前徘徊するある朝鮮老人姿けたような表情印象朝鮮公演えて東京武蔵境るやいなやこの朝鮮老人素材作品けした

 

タイトルをカリカチュアとつけたのはその朝鮮老人姿表情誇張して滑稽戯画化したためだこの作品石井漠韓服トゥルマギ姿ったが朝鮮人老人戯画化した<カリカチュア>朝鮮人情緒符合しなかったのは理解できることだ

 

 

石井漠はすぐに<カリカチュア>のタイトルを<失念>なくとも1940まではこれを上演けたことが確認されたしかし石井漠失念する記録くないコミカルな作品だったにもかかわらず日本であまり人気がなかったからだ

 

えば石井舞踊団19401215東京神田にある公立講堂開催した保護児童公演のプログラムに<失念>10作品中4作目掲載されていた

 

プログラムの作品説明欄には自分自身生活のカリカチュアとだけ簡単叙述されており、「失念朝鮮老人素材創作されたという淵源らかにしておらず作品衣装正式韓服ではなく韓服真似をして適当った衣装られる

 

 

崔承喜朝鮮人老人姿滑稽描写した師匠<カリカチュア>不快ったこれにして崔承一<崔承喜自叙伝(1937:56-57)>せられたにあげる手紙崔承喜<たちのカリカチュア>という作品創作する状況のように叙述した

 

いつのとあなたは石井漠さんのカリカチュアというタイトルで朝鮮るダンスを非常不愉快まもなく李基世(·ギセ)さんと相談してこそ伽倻琴散調チンヤン-チュンモリにけして、『たちのカリカチュアというタイトルであなたとしてはめて朝鮮リズムったのではないかその一般評判かったがはそのあなたは朝鮮んだ

 

つまり崔承喜たちのカリカチュア1931)』石井漠カリカチュア1926)』反論するためにられた作品くてったような表情朝鮮人老人わりにしく活発朝鮮人中年描写したものだ崔承喜19315<たちのカリカチュア>団成社発表したが崔承一叙述によれば朝鮮公演でこの作品する呼応かったという

 

 

19333崔承喜東京石井漠門下2ぶりに舞台出演機会つことになった520<近代女流舞踊家大会>参加することになったのである石井舞踊団代表して石井みどりが参加する予定だったが彼女急性肋膜炎診断されたため石井漠崔承喜代打指名して大会参加するよう指示した

 

師匠石井漠出品する作品許可けなければならなかったので崔承喜現代舞踊<エレジー>朝鮮舞踊<たちのカリカチュア>発表すると申請したこの石井漠たちのカリカチュア作品性評価しながらもタイトルをえるよう提案した石井爆自伝的エッセイ』(1940:33当時状況のようにべている

 

それから三年たつてめによつて東京第一回發表會をやるになつた承喜舞踊特徴たせる意味そのピクターの用件上京中朝鮮舞踊大家韓氏にやつて朝鮮舞踊手法速成的稽古をさせ本人だといふのを無理矢理めてやつて題名エヘヤノアラ命名それを上演したらやも大評判となつてその後自分でもりに朝鮮風舞踊上演するやうになつたが本人にとつてもた目出度だとつてゐる。」

 

 

石井漠のこの回想にはいくつかの間違いがあるがなくともたちのカリカチュア題名エヘヤ·ノアラえるよう勧告したのは石井漠だったにいない崔承喜作品タイトルが自分カリカチュア1926)」連想させたためだ当時師匠石井漠博弟子崔承喜にはのような対話わされただろう

 

カリカチュアはすでにタイトルを失念えているがえている観客評論家もいるかもしれないので模作是非けるためにあなたのたちのカリカチュアのタイトルをえてはどう。」

それでは朝鮮がる感嘆詞として使われるエヘヤ·ノアラいましょうか

それがいいね今後この朝鮮舞踊のタイトルはエヘヤ·ノアラにするようにしなさい

 

日本人石井漠エヘヤ·ノアラという朝鮮式感嘆詞っていたはずがないしたがってこのタイトルは崔承喜提案したものであることはらかだしかし厳格徒弟式師匠-弟子最終決定師匠したものと記録されるものだ石井漠エヘヤ·ノアラ題名自分めたものだと叙述したのもそのためだ

 

 

たちのカリカチュアのタイトルをエヘヤ·ノアラ崔承喜背景音楽伽倻琴散調チンヤンジョチュンモリ拍子からさらにいクッコリ拍子変更した当時状況崔承喜自叙伝1936:7-8)』のようにべている

 

ちやんちの非常美男子ださうでしてそれに酒席んでゐたでしたから藝事達者なものであつたらしく、『クツコリなぞはその得意中なのだつたのでせうじてクツコリ面白がつてめてゐるうちに何時にかこのんでしまつてゐたのです

 

石井漠先生作品發表會、『自作發表してみないか先生からはれてからびてくなつてしまつた朝鮮舞踊しい息吹きをれて藝術的甦生させ朝鮮れた舞踊家であるだけでなくては出来ないやうなしい藝術創造しようとつてゐたのでよりも素材として取上現在でも重要演目(レパートリーつとなつてゐるクツコリ結局父つたクツコリめてゐるうちに自然んでしまつた記憶かられたものなのです。」

 

 

このような状況総合してみると<エヘヤ·ノアラ(1933)>原作品<たちのカリカチュア(1931)>でありこれは師匠石井漠<カリカチュアカリカチュア(1926)>反論するために崔承喜自分父親崔濬鉉氏のクッコリりを回想して素材にして創作した作品だったこの作品創作する崔承一演劇人であり事業家李基世けを伴奏音楽としてはカヤグム散調チンヤン調チュンモリ拍子使用した

 

19335<近代女流舞踊大会>えて作品選定崔承喜石井漠協議じて<エヘヤ·ノアラ>改称され伴奏音楽もクッコリ拍子にさらにわった

 

 

こうして石井漠カリカチュア1926)」崔承喜たちのカリカチュア1931)」両方ともタイトルがわった<カリカチュア(1926)><失念(1926)><たちのカリカチュア(1931)><エヘヤ·ノアラ(1933)>わりついに<エヘヤ·ノアラ>19349崔承喜東京デビュー公演発表されるにったのだ

 

 

エヘヤ·ノアラ崔承喜発表した最初朝鮮舞踊という叙述をよくむことができるがこれはりだ最初朝鮮舞踊19311発表した<霊山>であり<エヘヤ·ノアラ>19335<近代女流舞踊大会>発表されたのは日本初演そしてエヘヤ·ノアラ原型であるたちのカリカチュア初演19315団成社公演だった(jc, 2024/8/24)