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최승희 이야기

[マルセイユ1939公演] 3. 救助者

安幕妻崔承喜本格的公演活動めたときんでマネージャーの役割たしたが崔承喜困難にぶつかったとき前途しるべとなった結婚直後崔承喜舞踊をあきらめないように説得したことと東京時代朝鮮舞踊めるようにましたことだ

 

二人1931結婚した59東大門宴会場清凉館でだった(一部記録安漠崔承喜結婚式場仏教寺院淸凉寺あるいは永導寺記載されているがこれはりである永導寺記憶りであり尼僧寺清凉寺結婚式場としてされるはずがない清凉寺からいところに宴会場えた料理屋清凉館がありその宴会場結婚式場だった).

 

 

結婚直前崔承喜京城舞踊活動けることが困難状況熱心公演活動にもかかわらず舞踊研究所財政難マスコミはえず悪質なスキャンダルを後援者たちは崔承喜餌食にしようとするわにした炎症こした崔承喜結婚決意兄崔承一斡旋安漠出会うことになったのだ

 

崔承喜結婚により新聞後援者たちのストーカー行為激減したらは未婚崔承喜金持ちや権力者としてスキャンダルをこすことをんでいたようだそうすれば艶聞記事量産できるはずだったしかし崔承喜はマスコミがめる派手艶聞っていた

 

 

新聞雜誌崔承喜婚約のニュースを報道しながら安漠一介書生卑下した崔承喜のスキャンダルの可能性源泉封鎖されると言論はその失望感安漠するりで表出したようだ当時京城言論有力人物舞踊芸術する認識やっとその程度だったのだ

 

結婚でスキャンダルはなくなったが財政難いた艶聞可能性がなくなった崔承喜財政的支援する財閥権力者はいなかったし一般観客婦人舞踊家公演芸術的しむレベルではなかった絶望的状況った崔承喜舞踊研究所閉鎖するにった

 

 

舞踊をあきらめ義理って生活しようとする崔承喜安漠東京せたこれが安漠二度目崔承喜救出だった京城芸術舞踊不可能だと見抜いた安漠崔承喜可能性東京開花させることにしたのであるいにも師匠石井漠崔承喜門下このから崔承喜全盛期用意された19333である

 

安漠19294早稲田大学第一高等学院入学19353早稲田大学卒業した卒業までに6かかったがこれをめぐって安漠休学したという誤解もあるがこれはりである当時3年制早稲田大学入学するには2年制または3年制早稲田大学高等学院修了しなければならなかった

 

 

安漠学生運動京城2京畿高等学校退学されたため3年制第一高等学院履修した早稲田大学文学部進学できたはずだしたがって安漠休学することなく6年間早稲田大学高等学院大学卒業することができた

 

安漠専攻はロシア文学だったというのが多数説だが大村益夫(1933-2023)<朝鮮近代文学日本(2003)>によると早稲田大学ロシア文学科学籍部では安漠確認されない一方早稲田大学法学部同窓会名簿1935年卒業生として収録されているという

 

 

また2013910日付<金剛日報>のコラムで舞踊資料館のイ・チャンジュ代表早稲田大学政経学科卒業した兪耿龜引用して安漠早稲田大学英文学科卒業したと記述した

 

兪耿龜崔承喜韓服衣装舞踊小道具製作してくれた人物であり韓国戦争当時崔承喜安聖姬兪耿龜むために寧邊ったことがあるというから証言無視できないしたがって安漠専攻についてはもうしい調査必要である

 

 

安漠専攻がロシア文学であれ英文学であれあるいは法学であれ崔承喜19333日本舞踊活動再開する安漠早稲田大学いながら学業崔承喜内助並行していたのである(jc, 2023/12/24)