本文で、金炳順氏の犠牲を発掘し、記録し、祭祀を行い、追悼碑を建てるまでに多くの人々の努力があったことを指摘しました。
しかし、疑問が生じました。江陵人である金炳順さんの犠牲を発掘して以来、参拝墓や追悼碑の建立を経て、ドキュメンタリーに至るまで、そして今後の江陵・宝塚の交流と協力を促進するために、どれだけの人々が努力してきたのか疑問に思いました。 そこで調べてみました。
まず、金炳順さんの死亡事件がありました。1914年のことです。
金炳順さんの犠牲を最初に発掘したのは、鄭鴻永、近藤富男先生です。 このお二人と、朝鮮史研究者の飛田雄一と堀内稔先生、そして1985年当時の宝塚市史編集担当の若林泰さんが重要な情報を提供してくれました。インタビューに応じた福本實二さん、松本文美さん、そして光国光さんの証言も重要な助けとなりました。
鄭鴻永先生の著書『歌劇の街のもう一つの歴史:宝塚と朝鮮人(1997)』が出版されたとき、それを祝う出版記念会が開かれました。近藤富男先生はこの出版記念会の出席者名簿を作成して保管していますが、この名簿によると、この出版記念会の參加者は102人でした。
近藤富男先生は、「宝塚朝鮮人追悼碑」を建立するために、2017年3月から2020年4月まで3年間続いた募金運動の経過も記録に残しています。近藤富男先生の記録によると、この募金運動には15の団体と193人の個人が参加しました。
玉瀬の参拝墓と宝塚の追悼碑が韓国に知られて以来、10人の活動家が江陵市の感謝牌贈呈を請願し、江陵市では3人の実務者(パク・ジョンシ、イ・ジュンハ、パク・インスン係長)によって準備された感謝牌が金漢根江陵市長の名義で渡されました。 これは、追悼碑に自分の名前が刻まれるようにした中川智子宝塚市長の努力に見合った決定だったと考えられます。
その後、<舞踊靴>と<チームアイ>、<希望来日/大陸学校>と<ソウル大民主同窓会>、<全国市民活動家連帯>と<AOK>と<メアリ>、<第1江陵フォーラム>と<ロングロード>などの集まりに宝塚のニュースが頻繁に告知されましたが、これらの団体の会員数を合わせると約1千5百人と推定されます。
また、2023年1月に行われた兵庫・大阪訪問団には「舞踊靴」会員30名と「チーム・アイ」会員20数名が参加し、2023年8-9月に行われた江陵人権映画祭の後援募金には10団体と77名の個人が参加しました。
本文では、金炳順さんの犠牲以来、玉瀬參拜墓と宝塚追悼碑を経て、人権映画祭の「玉瀬の百年伝説」上映に至るまでをおよそ3段階に分けて説明しました。
1914年の金炳順さんの死亡から1985年の再發掘までは五、六人の研究者が努力した段階ですが、金炳順さんの犠牲を発掘してから2020年の追悼碑が建立されるまでは、約2百人の活動家が参加したことがわかります。
追悼碑以来、2023年の江陵人権映画祭までに韓国だけで少なくとも1千5百人が玉瀬と宝塚を認識するようになり、時間とお金を出して映画祭に参加した人も「ジョガクベのノレ」の公演団を合わせて約1百人に達しました。
今後、江陵でもますます多くの人が宝塚の追悼碑と玉瀬の參拜墓を認識し、関連イベントに参加できるようになることを期待しています。関心を持って参加してくださる方が増えれば増えるほど、江陵と宝塚の交流と協力は増えるはずです。
また、時間が経つにつれて、象徴的な交流や協力だけでなく、実質的にお互いに役立つ交流や協力に発展していくことを期待しています。 (jc, 2023/12/21)
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