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강릉2023강연

[江陵2023講演] 14.後記1-金炳順さんの故郷を探す

近藤富男先生依頼金炳順氏韓国内のゆかりの調めたときがかりは兵庫県川辺郡西谷村役場191483発行した埋葬認許證1だけでした当時川辺郡現在宝塚市編入されています

 

この埋葬認許證には金炳順氏本籍地朝鮮江原道江陵部北一里大天洞漢字かれていました斜体かれていたため、「江原道江陵部調べるのにも苦労しましたし北一()()にも誤解じていました

 

 

調査依頼する2-3年前近藤富男先生江原道江陵部京畿道江華府勘違いし仁川広域市する江華郡江華邑ねてわせをしたこともあったそうです日本人でも見分けがつかないほどの流線型漢字だったのですくのけを結果はこの漢字住所江原道江陵府確定することができました

 

その北一里大天洞しさをしました191441日以降記録には江陵北一がなかったからです調査時期ってみると江陵郡北一里面北二里面南一里面統合されて郡内面となった事実かりましたつまり、「北一里名前ではなく、「北一里面省略したために誤解じたのです

 

 

また1884製作された朝鮮時代古地図参照すると北一里面大昌駅があったことがかりました江陵市玉川洞には統一新羅時代幢竿支柱っていますがその名称江陵大昌里幢竿支柱ですつまり現在校洞中央洞玉川洞地域朝鮮時代には大昌里だったのですしたがって埋葬認許證大川洞大昌里誤記でした

 

大昌里には擺撥(パバル)があったため大昌駅という地名地図表示されていたようですしたがって大昌里にパバルと大型佛敎寺院があった場所なので交通中心地であり繁華街であったことが推測できます

 

 

日本統治時代江陵市郡内面解放後1955行政区域改編浦南洞となり199532行政区域整理過程浦南1浦南2分離されました2019年現在浦南洞人口3万人ほどで江陵市都心部であり商圏中心地です

 

江陵市行政区域再編過程追跡した結果埋葬認許證住所江原道江陵部北一里大川洞現在江原道江陵市浦南洞であることがかりましたつまり金炳順さんの故郷江陵であることが確認できたのです

 

 

埋葬認許證住所がかりに金炳順氏江陵出身であることを確認した系図調査でクロス検証みました金炳順氏名前から恒列であると推定江陵在住各金氏宗親会調査した結果慶州金氏樹隱公派54代孫であることがかりました

 

決定的慶州金氏樹隱公派世譜(2009)金炳順氏項目には事項記録されておらず、「在日本という三文字だけが記録されていましたこれによりこの金炳順氏宝塚犠牲になった金炳順氏であることをさらに確信することができました

 

 

慶州金氏樹隱公派江陵支会金子正会長金喆旭支員けをりて金炳順氏親族そうとしましたがこの家族構成員記録不完全なものが先祖墓所情報欠落しているものが縁故者つけるまでにはりませんでした

 

しかし江陵市行政区域改編歴史慶州金氏樹隱公派系譜調査じて1914宝塚死亡した金炳順氏江陵出身であるという事実だけは二重確認することができました(jc, 2023/12/21)