崔承喜の舞踊映画『大金剛山の譜』は、アメリカでは上映されなかった。 サンフランシスコ、ロサンゼルス、そしてニューヨークでの理由は少しずつ違うが、根本的な原因は同じだった。 米国で激化した反日デモと日貨排斥のためだった。
一部の崔承喜評伝著者は、当時の在日朝鮮人と在米朝鮮人がお互いの違いを理解できなかったため、在米同胞が崔承喜の公演活動を妨害したと説明した。
高嶋雄三郎(1981[1959]:75頁)はサンフランシスコで崔承喜の名前が「サイ·ショキ」と紹介されたが、彼女が日本領事館と日本新聞社に頻繁に出入りし、日本公館の行事に参加したことが在米朝鮮人を刺激し、結局朝鮮人同胞たちがLAイーベル劇場前で排日バッジを販売し、ニューヨークホテルに脅迫電話をかける事態に発展したと記述した。
「これは帝国主義本国に在住している在日朝鮮人と、在米朝鮮人のおかれている政治的社会的条件の違いからくる思考行動の差、すなわち在日朝鮮人は在米朝鮮人に比してきわめて行動が制限されていたのであるが、少数の在米朝鮮人の独立の志士たちは承喜らの行為を訝り、承喜に無理な注文をしたのであろう。」(高嶋雄三郎、1981[1959]:76頁)
一方、カン·イヒャン(1993:136)は「崔承喜はただ文化宣伝のためだけに来たのではなく秘密指令を帯びて政治的宣伝のために来ているという話まで流れた」と述べ、鄭昞浩(1995:149)も「独立運動家たちは崔承喜を一方では排日的人物に転換させようとする作戦を繰り広げ、崔承喜の公演をきっかけに反日世論をアメリカ人に知らせようとする目的で活動したもの」と分析しており、
このような叙述には一見、納得できる面もあるが、国際的な脈絡と米国内の雰囲気を度外視することで、在米朝鮮人を同族芸術家ですら受け入れることができない極端な民族主義者に追い込んだ面がある。 実際、カリフォルニア州在住の朝鮮人新聞『新韓民報』には崔承喜を非難する報道は一件もなかった。
崔承喜の米国公演がボイコットされたのは、単に在米朝鮮人同胞の無理解や感情的わだかまりのためではなかった。 それは中国を侵攻した日本に対する米国内の世論が悪化するほど悪化していたからだ。
日米関係は、1931年に日本が満州事変を起こした時から悪くなり始めたが、1937年に日本の挑発で日中戦争が起こり事態はさらに悪化した。 特に同年10月、日本軍が上海を占領して米国が租借地を失うと、米国は枢軸国に対する経済制裁を加え始めた。
特に1937年10月5日、ルーズベルト大統領はいわゆる「隔離演説(Quarantine Speech)」を通じて侵略国日本とイタリア、ナチスドイツに経済的制裁を加えると宣言した。 これを機に、米国民たちは大々的な一斉不買運動に突入した。 1937年10月9日の『東亜日報』は「激しさを増す各地の日貨排斥運動」と題して次のように報じた。
「米国における日本関係商品の製造業者のうち反日的な派によって「米国品標準保護同盟」が結成され、日本の原料品及び製造品の永久的なボイコット運動を開始することになったという。 その他のアメリカ「反戦反ファシズム連盟」と「中国民衆の友協会」は、反日運動の始まりとして、一日、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンでデモ大会を開催し、日本商品のボイコットなどに決議を表した。 また、米国労働総同盟(AFL)と産業組織委員会(CLO)でも、近く開始される年次大会で日貨排斥が問題になることを予想し、対策協議中だと伝えた」。
崔承喜の公演がキャンセルされ、彼女の舞踊映画『大金剛山の譜』が上演されなかったことを崔承喜と在米朝鮮人同胞の間の葛藤のせいにするのは、あまりにも安易な叙述である。 崔承喜と在米朝鮮人たちはお互いの状況をよく知っており、それに対する了解も提供していた。
公演ボイコットと映画上映の失敗は米政府が先頭に立ち、米国内労働組合を含む各種の社会団体が総動員された大々的で全国的な日製不買運動のためだったのだ。 (*)
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