崔承喜の到着はマルセイユで大きなニュースだった。 マルセイユの主要4紙が彼女の到着とレセプションを報じた。 2月28日の『ル·プチ·マルセイエ(3面)』はレセプションの写真とともに次のような記事を出した。
「昨日の午後、マシリャ·サロンに高和日本領事夫妻の親切な招請により、社交界の名士たちが多数参加した。 このレセプションは、著名な極東の舞踊家、崔承喜女史を紹介するために開かれたものだ。
「彼女は米国とパリで故国の朝鮮の舞踊を公演し、華やかな成功と高い称賛を受けた。 マルセイユの観客も明日の夕方、「オペラ·ミュニシパル」劇場で、自分の性格と才能を優雅に表現してきた崔承喜に尊敬と喝采を送ることになるだろう」
記事はレセプションが崔承喜をマルセイユに紹介するために日本領事館が主催したものだと明らかにした。 高和博領事夫妻がマルセイユの社交界の名士たち(assistance élégante)を招待したと報道したが、その名士たちが誰なのかは明らかにしなかった。
掲載された写真を通じて当時のマルセイユ市民たちはどんな名士たちが参加したのか分かったはずだ。 しかし、80年余りが過ぎた今は、筆者はもちろんマルセイユ市民も誰が誰なのか識別できないだろう。幸い、『ル·ラジカル·ド·マルセイユ(3面)』は出席者の一部を公開した。
「崔承喜女史が日本領事の高和さん、民事裁判所長のカバイヨン(Cavaillon)さん、市立オペラ総監督のマルニ(Marny)さんらに囲まれている。」
この記事は、マルセイユ民事裁判所長と市立オペラ総監督がレセプションに参加したと明らかにし、彼らの名前を公開した。 マルセイユ法曹界の最高位級人物と芸術界の大物が参加したことから、マルセイユの著名人たちが網羅されたものと見られる。 同紙はまた、マルセイユのジャーナリストもレセプションに招待されたと報じた。
「明日(3月1日)夜、市立オペラ劇場で開かれるリサイタルの序幕で、昨日(2月27日)のマシリャ·サロンでは、マルセイユ日本総領事の高和さん夫妻が「極東最高の舞踊家」であり「朝鮮最高の美人」崔承喜さんをマスコミに紹介した」
日本領事館がこのレセプションを開催した理由が崔承喜の公演を助けるためだったので、この公演をマルセイユの名士だけでなく一般大衆にも広く知らせなければならなかった。 マルセイユの主要マスコミ各社を招待したのもそのためだった。 また別の日刊紙『ル·セマポル·ド·マルセイユ(5面)』も、このレセプションに報道機関が招待されたことを確認した。
「昨夜、マシリャ·サロンで高和日本領事夫妻は多くの名士とマスコミに著名な朝鮮人舞踊家崔承喜を紹介した。 彼女は明日オペラ座でガラ公演を開くことになる」
招待を受けたマルセイユの新聞社と雑誌社は、いずれも写真記者とともに取材記者を派遣したものと見られる。 レセプション以後、4つの主要日刊紙がこのレセプションと公演日程を写真と共に報道し、公演が終わった後も雑誌が公演評を報道したためだ。
レセプションの主人公の崔承喜が挨拶をしたことは明らかだ。 『ル·プチ·プロヴァンサル(4面)』は「崔承喜はマルセイユに来て踊ることができて嬉しいと話した」と報道した。
記事が伝えた崔承喜の挨拶は儀礼的な内容に留まったが、これはおそらく言語障壁のためだっただろう。 崔承喜はフランス語を全く知らなかったし、英語もあまり上手ではなかった。 これに対し、『ル·ラジカル·ド·マルセイユ(3面)』は次のように伝えた。
「崔承喜さんは英語で話し、フランス語ができないという自分の言葉とは違って、私たちの言語をかなり理解しているように見えた。 どんな場合でも、表現力に優れた彼女の目、そして何よりも彼女の白く細い手が足りない彼女の言葉に取って代わられた」
レセプションでの崔承喜の意思疎通は、言葉よりは表情と身振りに依存した。(jc, 2024/1/17)
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