以下は鄭世和先生が神戸中央図書館で見つけた1929年3月28日付けの『神戸又新日報』の記事全文である。 この記事も鄭鴻永先生の著書『宝塚と朝鮮人』の資料編にスクラップされていた。 そして『宝塚と朝鮮人』第1部2章の内容から見て、この記事は『神戸新聞』の記事とともに最も多く参照された基礎資料であると考えられる。
<神戸又新日報、1929年3月28日付>
(タイトルと小見出し)「ダイナマイトが爆發し/ 四名その場で死傷/ 雷管を焚火で乾燥さした/ 長尾山トンネル入口の椿事」
(記事本文)「二十六日午前八時ごろ川邊郡西谷村桐畑長尾山第六号トンネル入口(神崎起点十五マイル東方)で省線福知山線の改修工事に従事中の朝鮮慶尚南道固城郡固城面鮮人尹吉文(21)、尹日善(25)、吳伊根(25)、金時善(19)の四名が巖石爆破作動中、ダイナマイトが氷結して爆破しないので、焚火をしてダイナマイトの雷管を乾燥しやうとしたところ、
「あやまつて雷管に引火したので忽ち轟然たる音響とゝもに多數のダイナマイトは爆發し傍で火しにあたつてゐた尹吉文は無慘にも全身をパラパラに粉碎されて肉片はあたりに飛び散るの慘状を呈し吳伊根は左足をもぎとられて血に染み、尹日善は左手に重傷を負ひ、金時善のみは身體に數ヶ所の擦過傷を負ふたのみで助かつた、金のしらせと爆音に驚いた人々は直に現場へ驅けつけ血に染んだ尹日善と吳伊根の兩名を池田町の回生病院へ擔ぎ込んだが、吳伊根は同十一時つひに死亡した。
「ダイナマイトの雷管をたき火で乾燥させる等といふ無謀さに縣當局も驚いてゐるが、無智な鮮人に危險なダイナマイトを使用させることは問題であり、また爆發したダイナマイトの爆發力も大き過ぎるので、のこつてゐるダイナマイトについて、二十八日朝縣保安課の技師の手で爆發性能試驗が行はれることになつでゐる。」
<神戸又新日報>の記事が<神戸新聞>と異なる点が4つあった。 第一、<神戸新聞>は事故発生時間を明らかにしなかったが、<神戸又新日報>は26日朝8時頃と報道した。 第二、<神戸新聞>は被害者を5人と報じたが、<神戸維新日報>は4人と報じた。 死者は尹吉文(ユン·イルムン)、吳伊根(オイグン)さんの2人で共通するが、<神戸又新日報>は吳伊目(オイ·モク)さんを負傷者から除外した。
第三に、<神戸新聞>は尹日善(ユン·イルソン)の妻を余時善(ヨ·シソン, 19)と報じた反面、<神戸又新日報>は尹日善の妻とは言及せず、金時善(キム·シソン, 19)と報じた。 年齢が同一であることから、異なる人物ではないようであり、二つの記事のうち一つが姓を誤って書いたものと見える。 おそらく「金」の字と「余」の字が似たように見えるために発生したミスではないかと思われる。 第四、<神戸新聞>が被害者たちの朝鮮半島の縁故地を「慶尚南道」とだけ報道したのに対し、<神戸又新日報>は「慶尚南道固城郡固城面」ともっと具体的に明らかにした。
このような違いを除いて、両紙の報道を総合すると、事故当時の被害を描くことができる。 10個のダイナマイトが爆発し、尹吉文さん(21)は臓器が露出し、肉が飛び散るほど全身が破裂して現場で即死し、吳伊根さん(25)は左足が切断され病院に搬送されたが、3時間後に死亡した。 尹日善さん(25)は大腿部と左手に重傷を負って病院に搬送されたが命はとりとめ、彼の妻余時善(または金時善)さんは顔と体の数箇所に擦り傷を負った。 吳伊目さんも爆発の衝撃で何回もはじき出されたが、打撲傷や擦り傷程度にとどまっていたものとみられる。
記事を読みながら想像するような事故現場の姿はぞっとしたが、殉職者たちの縁故地を調べ、家族や親族の縁故者を探さなければならない私としては、彼らの故郷が「慶尚南道固城郡固城面」であると語ってくれた<神戸又新日報>に感謝の念を抱かざるを得なかった。 (*)
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