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조선인 추도비

17-4. 鄭鴻永先生による追加聞き込み調査

これまで福知山線鉄道改修工事中事故報道した1929328日付4記事几帳面点検事故当時状況被害者人的事項朝鮮内縁故地整理してみたところが鄭鴻永先生満足せず1980年代まで生存していた地域故老対象調査その結果のような事項らかにした

 

(1) 何人かの地元古老から事故んだ朝鮮人のことが々にらかになつたきびしい労働れていたあるのことであつた工事現場くでれた火薬焚火かしていた突然爆発して三人朝鮮人即死したるも無残姿になつた遺体いつしょに仕事をしていた大勢同胞工夫たちがれて地蔵尊までいできてめて火葬きながら野辺りをした火葬がすんだあともらはだれ一人として仕事からばかりんでいたそしてアイゴーアイゴーというえることがなくそんな何日いたという。」(宝塚朝鮮人』、199739)

 

1989年9月7日、兵庫県の地域放送『サンテレビ』が放送した鄭鴻永先生のインタビュー。 当時、鄭鴻永先生は「兵庫朝鮮関係研究会」の会員で、この地域の近代化のために犠牲となった朝鮮人労働者を調査し、発掘作業を続けた。

 

鄭鴻永先生収集した証言によるとダイナマイト爆発事故による朝鮮人死亡者3これは4つの新聞記事死亡者2じたこととはなる事故発生とともに即死した尹吉文(ユン·ギルムン)さんと病院ばれて死亡した吳伊根(オイグン)さんのにも死亡者がいたという意味新聞事故発生直後から48時間取材して報道したものだからその死亡者追加された場合これを報道できなかったはずだ尹日善さんは後日行績記録されており余時善/金時善/揚時春さんの負傷軽傷だったのでさらに死亡した吳伊目さんである可能性いが決定的文献証拠れるまでは最終的結論すことは容易ではない

 

(2) さらに何人かのりから吉田飯場がユンジェウ尹在裕?)というであつたことがわかつたそして何時工事現場陣頭指揮をとり采配をふるつたのは長男通称吉田文吉ばれたユン・イルスン尹日善であつた工事飯場仕切世話役であつたが人夫からは何時中隊長ばれていた事故んだ三人のうち二人名前年令もわからなかつたが一人尹日善次弟であつたという。」(宝塚朝鮮人』、199740)

 

鄭鴻永先生調査じてダイナマイトの事故現場重傷ったが命拾いした尹日善氏父親がユン·ジェユ(尹在裕?)であることがかったまた尹日善氏日本式別名(=通名)吉田文吉尹日善氏尹在裕(?)長男であることもらかにしたさらに事故死亡した尹吉文氏尹日善氏次弟だった事実らかにした

 

また鄭鴻永氏、「事故死亡した3という証言めた複数地域故老がダイナマイト事故死者3記憶していたのだ事故んだ3のうち2名前年齢からないというしかし新聞報道によるとその匿名死亡者2のうち1吳伊根さん25だったえれば名前年齢からないもう1死亡者がいたということだこれは今後調査作業れずに確認すべきことだ

 

 

鄭鴻永先生が宝塚各地域の元老たちを訪ね、1910年代と1920年代の朝鮮人労働者たちの状況と事故、犠牲についての話を聞いている。 (1989年9月7日兵庫県ケーブル「サンテレビ」放映のワンシーン)


(3)
武田尾から武庫川沿つて廃線敷いてくらいで全長三五メートルの六号トンネルに武田尾から次第くなつていてトンネルの手前あたりからカーブをいて右左蛇行しているはトンネルのすぐ川岸うようにれている鉄製のアングルかレールのような梯子状んで水際固定してあるのは増水した護岸用のようにえた左側急斜面つていて落石危険性あたりを注意深いて焚火をした場所トンネルの入口からメートル手前左側にあるコンクリート保護壁さな広場らしいことがわかつたある新聞にはくの小屋炊事をしていた升日善怪我をしたとなつているがその小屋工事飯場であつたのかそれとも休憩小屋すのかも不明であるまた列車つていた昼間にトンネル内部発破仕掛けるはずはないそれなればダイナマイトはいつたい何処使うためのものだつたのかまた遺体までどうしてんだのだろうかそれらの疑問がかりはつていない。」(宝塚朝鮮人』、199742-43)

 

この文章鄭鴻永先生武田尾地域直接踏査してした記録長尾山麓新六号トンネルのから約五十メートル前方左側さながあるのを発見した鄭鴻永先生氏ここが新聞記事指摘した小屋飯場だったと推定した爆発発生したから50メートルほどれていたのでここで炊事準備をしていた余時善/金時善/揚時春氏顔面擦過傷うのにまっていたのだ

 

(4) 尹日善叔父通称吉田一郎ばれていたが惣川部落ができたからのきであつたはじめは地元土建業者世話役をしていたが下請けになり河川砂防橋梁などの工事をした旧武田尾駅前から武庫川かる温泉橋はー九三四年竣工したがそのあたりでりをしていたこの工事朝鮮人がしたことを畑熊商店主人からいてはじめてつた工事をしていた時飯場向側川原二棟あつて朝鮮人人夫寝泊りしていたが畑熊さんが何時味噌醤油配達していたというその飯場頭生瀬からていた吉田一郎であつた隧道擁壁など鉄道関係仕事がすんだ尹日善吉田飯場だけでなく生瀬一帯朝鮮人世話役として大勢人夫きつれて神戸水道拡張工事六甲山系砂防工事などの仕事がけた。」(宝塚朝鮮人』、199745)

 

鄭鴻永先生が直接踏査と聞き込みで収集した資料は、彼の著書『宝塚と朝鮮人』(1997)にそのまま収められている。

 

鄭鴻永先生調査によるとダイナマイト爆発事故死亡した尹吉文長兄尹日善には吉田一郎という通名った叔父がいたつまり尹日善尹吉文父親尹在裕には兄弟がいたのだ韓国式名前られていないが日本式通名吉田一郎だったそして通名'一郎'という名前使ったことからみておそらく長男尹日善尹吉文父尹在裕はそのだったのだろう

 

(5) 解放後一九五二年大多川沿いのいて新設された森組採石場建設工事最後従弟尹昌善せて生瀬をはなれ森組下請業者として京都府奈良県下くの隧道工事にたずさわつたが大阪病院でトンネル工事れた一生えた現在惣川従弟京都宝塚んでいるが生前一杯のむとチョンガー独身んだのことをしてはよくかべていたという。」(宝塚朝鮮人』、199745)

 

鄭鴻永氏追加調査じて尹吉文-尹日善兄弟家族がさらにいたことをらかにしたつまり尹日善には尹昌善(ユン·チャンソン)といういとこがいたということだ鄭鴻永先生によると現在=1990年代尹昌善惣川んでおり尹日善たちは京都宝塚んでいるという

 

鄭鴻永先生の『宝塚と朝鮮人(1997)』には、舊國鐵福知山線改修工事で死亡した尹吉文、吳伊根氏の家族事項が詳しく調査·記録されている。

 

したがって鄭鴻永先生追加調査をまとめてみると福知山線改修工事中のダイナマイト爆発事故死亡した朝鮮人労働者尹吉文吳伊根氏とその姓名年齢不詳1めて3だった可能性がありらのほとんどは慶尚南道固城郡固城面キョンサンナムド·コソングン·コソンミョン家族単位移住してきた移住労働者であった

死亡した尹吉文氏家族父親尹在裕氏伯父吉田一郎氏長男尹日善氏義姉余時善/金時善/揚時春氏そしていとこの尹昌善皆一つの家族構成員だったにいないそして, らはみな慶南固城出身だったにいない

 

一方死亡者吳伊根さんには吳伊目さんという兄弟がおり新聞報道によるとらも慶南固城出身だったとえるのが妥当だろう

 

したがってこれら2家族する調査2つの方向まなければならないことがかる一方韓国では慶南固城中心尹吉文-尹日善-尹昌善尹在裕-吉田一郞そして余時善/金時善/揚時春公式記録系図記録すことだまた同地域吳伊根-吳伊目氏公式記録系図記録探索することもまれる

 

一方日本ではダイナマイト事故以降尹日善尹昌善氏痕跡尹日善氏たちが宝塚京都んでいたという証言をもとに宝塚をはじめとする兵庫県大阪そして京都にかけて幅広調査みる必要があるだろう(*)