江陵と宝塚が初めて出会ったのは1914年です。今から1百10年前、江陵出身の金炳順(キム・ビョンスン)さんが宝塚玉瀬村から神戸市水道工事に参加した時です。
1914年ですから、日本統治初期のことです。 それ以前にも、江陵の方々が仕事や生活の機会を求めて日本に移住した可能性があり、そのうちの何人かが兵庫県の宝塚に定住した可能性もあります。 しかし、これまでに発見された記録としては、江陵の金炳順さんが初めてです。
金炳順さんが宝塚で働いていたことが知られるようになったのは、不幸な事故によるものです。 彼は1914年3月、神戸水道工事中にトンネル落盤事故で死亡しました。金炳順さんの遺体は宝塚市の玉瀬村に埋葬され、村人たちは毎年8月に金炳順さんのための慰霊祭を行いました。 しかし、玉瀬の外の世界にはその事実は全く知られていませんでした。
金炳順さんの犠牲は、宝塚の地域史家の鄭鴻永(チョン・ホンヨン)、近藤富男(コンドウ・ドミオ)先生の調査研究により、再び世に知られるようになりました。 二人の研究者は、宝塚市が作成・保管していた埋葬認許證の記録から、金炳順さんを含む3人の朝鮮人労働者が1914-1915年に神戸水道工事中に死亡したことを明らかにしました。 しかし、犠牲者たちの埋葬地を見つけることはできませんでした。
金炳順さんの犠牲が宝塚の外の世界に知られるようになったのは、2021年1月のこと。 <宝塚朝鮮人追悼碑>が建立される過程で、玉瀬の滿福寺の住職が、埋葬墓と参拝墓が玉瀬にあることを知らせたのです。 その後、犠牲者たちの縁故調査が始まり、2021年9月、金炳順さんが江陵出身であることが確認されました。金炳順さんが亡くなってから108年。
金炳順さんの犠牲のおかげで江陵と宝塚の最初の縁が確認された後、両市に多くのことが起こりました。2022年4月、江陵市は、金炳順さんを含む5人の朝鮮人犠牲者のための追悼碑の建立に尽力した日本人活動家や在日同胞に感謝牌を贈呈しました。
2020年に宝塚市の中川智子市長が朝鮮人追悼碑に追悼の言葉を寄贈し、2022年に江陵市の金漢根市長が感謝牌を贈呈することで、民間部門から始まった交流と協力が公共部門から認められ、励まされるようになったことを示す重要なきっかけとなりました。
2022年12月、宝塚の活動家たちは、感謝牌を届けてくれた江陵市を訪問し、実務者に直接感謝の気持ちを伝え、2023年1月には江陵とソウルと羅州の活動家たちが宝塚を訪れ、追悼碑の犠牲者たちを100年以上祭祀してきた玉瀬の住民と共に慰霊と感謝の国楽コンサートを開催しました。
続いて2023年5月、第1江陵フォーラムの指導部が宝塚を訪れ、追悼碑を参拝し、宝塚の玉瀬を訪れ、朝鮮人犠牲者墓にムクゲを植えました。訪問日程中、宝塚市議会議員と兵庫県議会議員が江陵フォーラムの関係者を迎え、共通の関心を確認し、今後の交流と協力方策を協議し始めました。
2023年9月には、宝塚と兵庫県の活動家たちが江陵人権映画祭を後援して参加しました。 宝塚朝鮮人追悼碑に関するドキュメンタリー映画が映画祭で上映され、江陵市民はこの映画を歓迎と感動で迎えました。 江陵市議会議員たちは、この方たちを迎えて懇談会を開きました。
このように金炳順さんの犠牲をきっかけに始まった江陵と宝塚の縁は、この3年間で急速に進展しました。江陵のマスコミもこれを報道し、広報しました。 <江原道民日報>が数回にわたって江陵と宝塚の交流を報道し、文化雑誌<江陵プラス>が2022年の3・1節特集で取り上げました。 私も追悼碑に関する論文を江原大学学術雑誌に掲載したことがあります。
今回は、(1)これまでの経過を関連人物中心に簡潔にまとめながら、(2)江陵・宝塚間の交流と協力の現段階を診断し、(3)今後はどのような方向に進むべきかを提案してみたいと思います。 (JC, 2023/12/14)
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