日本取材から帰って3日目です。 ゆっくり休んでいます。 3週間の取材が強行軍だったのか、体力が手に負えなくなりました。 唇も裂けて、時と無く居眠りをしています。 3日ほど経つと、なんだか縮こまったようなので、取材記も書いて出張報告をするために通おうと思います。
取材記を書き始めるのにまず感謝の気持ちが先に出ます。 今回も取材に行く状況ではなかったのですが、韓国と日本のスポンサーの方々のおかげで行って来ることができました。
朴晟桓(パク·ソンファン)先生が航空料とホテル費、JRパスまで含めた一切の費用を支援して下さり、日本<チームアイ>先生たちが日本滞在中の活動費を提供してくださいました。 おかげさまで資料コピー費も不足なく使うことができました。 実は今の世の中に紙にコピーしてくるというのが変なやり方ではありますよね。 ダウンロードすれば重い紙を持ち歩く必要もありませんが、日本の事情はそうです。
日本の<チームアイ>の会員の方々が後援金を入れて下さった封筒に"志"の字を書いて下さったことが心をより一層引き締めるようにします。 このような後援金は額面価格より数十倍、数百倍価値のあるお金なので、本当に節約して使いました。 写真は残ったお金です。 帰国する際に両替しませんでした。 次に行く時に使おうと思って···^^
去年11月の東北調査の時にも李元榮(イ·ウォニョン)、朴仁浩(パク·インホ)先生の後援がどんなに大切だったか分かりません。 李元榮先生が航空料、朴仁浩先生がJRパスを買ってくれましたから。 おかげで青森から福山まで幅広く調べることができ、60回に及ぶ取材記を書くことができました。 取材記自体はあまり密度のある文ではありませんが、崔承喜評伝を書くときに大切な下地資料になるでしょう。 今回の資料も同じです。
このような後援と激励に応えるために私も頑張りました。 スーツケースいっぱいに資料を集めてきたのですが、大阪や神戸や宝塚、そして北陸で新しく発掘された資料もかなりあります。
中には、(1)石井漠が新舞踊で観客から初めて好評を得たのが大阪であったこと、(2)崔承喜先生の日本初公演が1926年6月東京ではなく、それより10日前の大阪であったこと、(3)この公演の前に崔承喜先生が満14歳(+5ヶ月)の年で、舞踊を始めて2ヶ月にもならない時点で、日本の有力日刊紙「大阪毎日新聞」とのインタビューを行ったことを示す資料も含まれています。
また、崔承喜先生は石井漠の門下から独立するやいなや、1935年末に北陸の敦賀、福井、金沢で公演したことがあり、1928年には石井漠舞踊団の一員として富山で公演していたことも明らかになりました。 これらの資料はまず取材記に使われ、後日の崔承喜評伝にも含まれます。
崔承喜公演関連資料の収集に劣らず重要だったのが日本現地の状況を把握し理解することでした。 <兵庫朝鮮関係研究会>創立40周年記念式と<青丘文庫>セミナーに参加して会った研究者たち、そして<チームアイ>と<コキリの会>と<99%会>で働いてこられた活動家の方々の意見を傾聴しながら、韓国と日本の学術運動と市民運動がもっと緊密に連結されなければならないという考え、そして既成世代だけでなく若い世代の参加を拡大することが非常に重要だという考えも持つようになりました。
また、金正恩委員長の敵対国宣言で微妙に変わった在日朝鮮人社会の雰囲気も感知することができました。 表面的には何の動揺もなく、以前とあまり変わらないように見えますが、同胞活動家たちの説明から、実際には根本的な変化が始まったことが分かりました。
ただ、この雰囲気がどのような方向にどのような速度で展開するのか予測するのはまだ時期尚早です。 このような観察と解説は、<舞踊靴>の今後の活動に重要な指針になるでしょう。
もう唇も癒えて、二の腕や背中の痛みもなくなりましたので、またあちこち歩き回ってみます。 いろんな姉妹団体と江陵と羅州の同僚たちにも取材報告をして協力を要請しようと思います。
今回の取材を支援し、励ましてくださった方々にもう一度感謝の言葉を申し上げます。 ありがとうございます。 (jc、2024/3/15)
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