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최승희1931벌교

[崔承喜1931筏橋公演] 22.結び言葉

<崔承喜筏橋公演>20205筆者木浦光州羅州訪問してしく発見された1931124木浦公演125光州公演調査した羅州での公演可能性調査したが126羅州ではなく筏橋公演があった事実発見されたのだ

 

 

崔承喜筏橋公演東亜日報(1124日付3)記事じて確認された光州公演筏橋公演んで公示された記事だった公演10日前中央地地方難公示されたことからこの公演即興的われたのではなくあらかじめ企画されたものであることがかった以後報道公演されたり延期されたという記事たことがないことから光州筏橋公演実際実行されたとるのが合理的

 

これと筏橋公演かれた<筏橋劇場>朝鮮人蔡重鉉によって設立された筏橋最初近代式劇場だったことも発見されたこの劇場建築動機過程そしてその完成落成式のニュースは<東亜日報(1930129日付3)<釜山日報(19301210日付7)>そして<朝鮮日報(19301214日付7)>報道された

 

 

この劇場名前新聞によって筏橋倶楽部」、「筏橋劇場」、「筏橋公設劇場などとなるように紹介されたおそらく現地では<筏橋倶楽部>という名前ばれたが釜山記者がこれを劇場理解<筏橋劇場>紹介したものとられるこの取材記ではこの劇場筏橋劇場ぶことにした

 

ただ、「朝鮮日報がこの劇場筏橋公設劇場命名したことは疑問。 「東亜日報釜山日報蔡重鉉氏私財でこの劇場設立したと報道した反面、「朝鮮日報だけがこれを公設劇場ったためだもし蔡重鉉氏<筏橋劇場>開館落成したこれを筏橋邑喜捨したとすれば公設劇場になった可能性もなくはない

 

 

<筏橋劇場(1930)><木浦劇場(1926)>全羅南道地域朝鮮人開館した2番目劇場であり<光州劇場(1935)>より5開館した劇場だったそして崔承喜筏橋公演筏橋倶楽部會館開館1周年記念特別行事だったことも確認された

 

筏橋公演調査しながらくのけられた羅州のホン·ヤンヒョン(홍양현)先生和順のイム·ジェテク(임재택)先生筏橋のハン·グァンソク(한광석)先生けをたくさんけたがそのでも筏橋出生成長筏橋伝統染色専門家として活動中韓光石先生直接的けをけた

 

 

にハン·グァンソク先生筏橋歴史日本による植民地時代状況そして音楽家蔡東鮮先生するをたくさんしてさったが<筏橋劇場>設立者である蔡重鉉先生蔡東鮮先生父親という事実らかにすることにもきなけをえたそのおかげで蔡東鮮崔承喜家族人的交流があったことが確認できこのような人脈筏橋公演成功するのに重要役割たしたと推察できた

 

筏橋公演確認されたことで崔承喜全羅南道地域巡回公演する研究可能性かれた木浦光州筏橋とともに全羅南道5大都市していた順天麗水での公演排除できなくなった順天麗水筏橋北東側南東側にわずか2-30kmれたいところだっただけでなく慶全線全羅線連結されたので公演地条件えていたのだ

 

 

たとえ筏橋公演以後崔承喜日程順天麗水日程確認してくれる新聞記事資料はまだ発見されていないが筏橋公演確認されただけに順天麗水公演可能性想定して調査研究継続する必要性がった

 

筏橋公演まで崔承喜研究者たちによって一度言及されたことがなかった公演今回調査過程めて確認されたというでも意味きいが今後崔承喜全南地域巡回公演する研究拡張することにも刺激える重要発見えるのだ(jc, 2022/5/28)