大阪府と兵庫県の日本人活動家と在日朝鮮人たちは、2020年3月26日に「宝塚朝鮮人追悼碑」を建立しました。20世紀初頭、宝塚地域の鉄道や水道工事で亡くなった5人の朝鮮人労働者の魂を慰霊するための追悼碑です。
この追悼碑は、今も宝塚市切畑の旧国鉄福知山線が通っていた第6号トンネルに近い場所、桜の園の入口、親水広場に建てられています。
金炳順氏など3人は、1914-15年の神戸水道工事で亡くなり、2人は1929年の福知山線鉄道工事中にダイナマイト爆発事故で亡くなりました。
この追悼碑の建立には多くの方々が尽力されましたが、中でも近藤富男先生は、穏やかでありながら粘り強いリーダーシップで追悼碑の建立を推進されました。 彼は1983年、若い教師時代に鄭鴻永先生と初めて会って以来、彼を生涯の仲間、先輩、師匠として慕ってきました。
1985年初冬、鄭鴻永-近藤富男調査チームは、JR福知山線のトンネル工事に多くの朝鮮人労働者が従事し、そのうち3人がダイナマイト爆発事故で死亡した事実を調査し、宝塚の在日朝鮮人建設業者金相坤氏の伝言と木の元老人クラブ会長坂口太郎氏の証言が重要な手がかりとなりました。しかし、この事故がいつ、どこで起きたのかまでは明らかになりませんでした。
この事故の日時と場所が判明したのは、さらに8年後の1993年3月25日でした。鄭鴻永先生は<歌劇の街のもう一つの歴史:宝塚と朝鮮人(1997)>でこう述べています。
「ダイナマイトの爆発で死んだ朝鮮人について、事故の場所、日時などさらに詳しいことが判明したのは、神戸の堀内稔さんから送つてもらつた一枚の新聞記事からであつた。堀内さんはパソコンで朝鮮人関係の古い新聞記事のデータベースを作成していて、私が提供してもらつた宝塚関係の記事は他にもある。」
この資料は1929年3月28日付の<神戸又新日報>の記事でした。 この事故は報道の2日前の3月26日で、この事故で尹吉文(ユン・ギルムン)、吳伊根(オイ・イネ)さんが死亡し、他の3人が重軽傷を負ったと報道されていました。
二人の研究者は翌日、1993年3月26日に現場を訪れ、事故が起きた場所が福知山線鉄道が通っていた第6号トンネルの入り口であることを確認し、その場で簡素な最初の慰霊祭を行いました。 以来、毎年3月26日に日本人活動家や在日朝鮮人が慰霊祭を続けてきました。
鄭鴻永-近藤富男研究チームは、20世紀初頭、宝塚地域の水道工事と鉄道工事で5人の朝鮮人労働者が死亡した事実を明らかにし、事故が起きた日時と場所を確認したのです。
彼らの発見は、単行本「歌劇の街のもう一つの歴史-宝塚と朝鮮人(1997)」に記録され、出版されました。 この著書は鄭鴻永先生の名前で出版されましたが、近藤富男先生の協力が不可欠でした。2022年に逝去された近藤富男先生の遺品を見てみると、この本の原稿のコンピューターファイルと校正済みの原稿プリントが含まれていました。
お二人はリサーチを一緒にしただけでなく、執筆も一緒にしたのです。 鄭鴻永先生が書き、近藤富男先生がそれをタイピングし、校正をされたのです。 お二人の性格から推測するに、鄭鴻永先生は共著にしようと提案したでしょうし、近藤富男先生はそれを断ったのでしょう。
この著書が出版されてから3年後に鄭鴻永先生が他界されました。近藤富男先生は、「朝鮮人犠牲者のために追悼碑を建てたい」という鄭鴻永先生の遺志を忘れず、約20年の努力の末、2020年3月26日、宝塚切畑に追悼碑を建立しました。
<むくげ通信(2020年5月31日)>に掲載された近藤富男先生の文章を見ると、追悼碑が建立された日に彼は鄭鴻永先生の墓所を訪れ、追悼碑の建立を報告したとのことでした。(jc、2023/12/15)
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