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최승희1931벌교

[崔承喜1931筏橋公演] 13. 崔承一と安漠

1930126<筏橋劇場>落成式では当代朝鮮最高人気女流名唱李花中仙姉妹のパンソリ公演かれた崔承喜筏橋劇場公演はそれからちょうど1年後1931126だった崔承喜公演筏橋劇場開館1周年記念公演だったという意味

 

李花中仙筏橋行事招待されたのは第一彼女朝鮮最高名唱であり第二筏橋があったためだった木浦まれた李花中仙5筏橋移住釜山13南原移住するまで筏橋んでいたとられる

 

 

151913南原出家した李花中仙171915淳昌移住1921京城移住するまでの6年間淳昌らした京城活動名唱名前李花中仙301928張得眞死亡すると全羅北道任実移住そこで1931再婚翌年1932京城活動再開した

 

えれば李花中仙京城活動時期けば全羅南道(木浦筏橋淳昌)全羅北道(南原任実)活動そのうち筏橋居住期間8にもなった京城著名になるにも李花中仙湖南せたにいない

 

崔承喜はどのようなルートで筏橋かれたのだろうか? 「筏橋劇場開館1周年記念公演企画した蔡重鉉今回2つの基準使用したはずだ当時朝鮮最高女性芸術家として崔承喜んだことは容易推測できるしかし崔承喜筏橋とどんながあったのだろうか

 

 

崔承喜安漠筏橋んでいたことはないので周辺人物調べた蔡東鮮1901~1953略歴整理していると平行のようにがった人物崔承喜兄崔承一1902~?)

 

蔡東鮮崔承一同年輩崔承一蔡東鮮1901年生まれとされてきたが鍾路区庁戸籍には1902年生まれだった当時戸籍上生年実際生年場合かったので崔承一実際生年1901である可能性依然としてっている

 

江原道洪川生まれの崔承一1905年頃大地主父親崔濬鉉チェ·ジュンヒョンって上京培材学堂修学した蔡東鮮のように崔承一三一万歳運動参加したが卒業前培材学堂退学した1920東京日本大学美学科入学したが1922経済的没落すると2ぶりに中退京城社会主義系列青年文士として活動した

 

 

すなわち蔡東鮮崔承一地方出身時期京城高等普通学校三日万歳運動参加して退学になり時期東京留学した1920年代初めの朝鮮人東京留学生1年卒業生100人未満だった時代なので二人いにっていただろう蔡東鮮崔承一いだったはずなので蔡東鮮父親蔡重鉉みで崔承喜招請意思崔承一えた可能性十分

 

 

一方崔承喜夫安漠(アン·マク, 1910-?蔡東鮮学縁がある蔡東鮮より9歳年下なので学生時代ならなかったが2早稲田大学英文学科同窓1930115在京成早稲田大学同窓会はドイツ留学えて帰国したばかりの蔡東鮮独奏会主催演奏会わった同窓会会食いた当時京城滞在した安漠演奏会会食参加したはずでありこれはまだ在学生である安漠先輩蔡東鮮直接会っためてのだっただろう

 

 

安漠崔承喜結婚193159崔承喜筏橋公演半年前したがって筏橋劇場開館1周年記念行事として崔承喜舞踊公演誘致しようとすることが蔡重鉉計画だったとすればこれは蔡東鮮安漠協議じて実現した可能性もなくはない

 

もちろんこのような主張直接裏付ける文献資料発見されていないしかし崔承喜1931湖南巡回公演日程全州木浦光州最後筏橋公演つようになったのは蔡東鮮崔承一あるいは蔡東鮮安漠交渉われた蓋然性きい(jc, 2022/5/24)