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춘천1931공연

【春川1931公演】 2. 京城から春川まで20時間。

近代化において交通発達核心的重要である日帝朝鮮侵略して一番最初鉄道敷設したのがそのである1900京仁線(濟物浦-西大門)開通する仁川経由して入国した外国人京城到着するまで10時間かかりました京仁線はそれを1時間40短縮した京城市民濟物浦共和春昼食べてることができるようになったのです

 

1905111にそれぞれ開通した京釜線京元線同様だったこのつの鉄道開通したことで日本釜山上陸24時間以内新義州通過して中国進出することができるようになりました

 

しかし京城春川には19397まで鉄道がなかった今日京春線鉄道延長90キロメートルで鉄道1時間しかかかりませんしかし河野萬世した<春川風土記(1935)>によると1925京城-春川道路地形しく道路不十分20時間かかったという

 

1920年代の京春街道とその上を走る車

 

それでも朝鮮時代べれば道路事情くなったのだ1907までは役人京城から江原監營があった春川赴任するのに3かかったという記録があるようやく道路整備された1925年頃には20時間かかったというから交通時間31短縮されたことになる

 

1935年頃には朝鮮総督府治道局主導京春街道道路整備った結果ソウルから春川まで直通自動車3時間乗合自動車(バス)4時間かかるレベルまで短縮されました

 

しかし整備された道路洪水大雪頻繁流失くても数日くても月間交通途絶えた1926720<東亜日報>洪水京春街道流失郵便物発動船北漢江経由して輸送中であると報道19261229<中外日報>大雪京春街道不通になったとえた1928111<釜山日報>天候回復間不通だった京春間道路再開されたとえたこのような報道から京春間道路には定期的自動車便があったとしても悪天候頻繁途絶えることがあったことがかる

 

京春街道を運行する自動車は、時には強盗の犠牲になったりもした。

 

道路交通かしたのは自然災害だけではなかった京春間道路しく人里離れた山間部通過するため自動車事故自動車強盗頻発した192833<毎日新報>自動車から転落する事故報道1929421<釜山日報>自動車強盗出没乗客ろして自動車京城げたとじた

 

自然災害事故強盗京春間自動車運賃までかった1926710日付<毎日新報>京春間自動車片道料金6ウォンから5ウォンあるいはそれ以下げなければならないという要求提起されたとじた1926年頃教員月給40ウォンであったため京春間自動車1往復料金12ウォンは教員月給31相当した

 

1930年頃京仁線(京城駅-濟物浦駅)鉄道運賃片道48自動車料金片道95だった京春線京仁線より3ほどいことを考慮しても片道6ウォンの京春自動車運賃京仁間自動車運賃べて2鉄道料金より4かった

 

『春川風土記(1935)』に掲載された京春街道の様子

 

したがって崔承喜舞踊団1931年初めに春川公演うためには往復移動時間だけで23かかり自動車旅行中事故強盗脅威覚悟しなければならず10のダンサーと45のスタッフは180ウォンの自動車運賃支払わなければならなかった

 

当時春川公会堂客席数500大人1人当たりの入場料80だったので1公演収入最大400ウォンだったここで最低23宿泊費自動車運賃劇場貸館料などの費用けば公演収益はほとんどなく赤字れることはしかっただろう

 

崔承喜舞踊団1931221春川公演ったのは財政的はもちろん実際的でも簡単決断しにくいことだった崔承喜はなぜこのような困難悪条件して春川公演ったのだろうか? (jc2021/8/18草稿; 2024/2/18修正)