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조선인 추도비

18-2. 張長守氏の埋葬認許証の日本の住所

金炳順氏埋葬認許証にはしい朝鮮住所とおおよその日本住所両方記載されていたが張長守氏認許証には下記転載されたように日本住所しく記入されている反面朝鮮住所記載されていなかった

 

認許証5

(本籍 住所) なし

住所川辺郡西谷村内玉瀬村イズリハ) 1번지의 45

氏名張長守(生年月日) なし(37

右埋葬認許候事大正3(=1915)324日午後2時後フベシ

大正4(=1915)324川辺郡西谷村長 龍見隆一)。

 

1915年3月24日、川辺郡西谷村長の名義で発行された張長守氏の埋葬認許証。 日本内の住所は詳しく記録されているが、朝鮮の本籍地の住所はない。

 

鄭鴻永先生がこの認許証注目したのはイズリハ1番地45という玉瀬村住所だったここが張長守さんが居住していた住所地なら朝鮮人労働者合宿所=飯場だった可能性かったからだ鄭鴻永先生「『イズリハ玉瀬から武田尾一帯山間部地名であり、「紅葉館住所もイズリハ一番地44であったべた

 

近藤先生1993326鄭鴻永先生とともに堀内稔先生からもらった新聞記事のコピーをって武田尾かう途中"途中でおめてコーヒーをみながら記事内容確認したという喫茶店兼食堂"紅葉館ではなかっただろうか

 

紅葉館旅館/飲食店として営業中のようだがあざれという紅葉館別庭予約率高級温泉観光宿泊地である<あざれ>のウェブサイトにはここの住所宝塚市玉瀬字イジリハ1-47番地となっている

 

鄭鴻永先生の著書にある「紅葉館(イズリハ1-44番地)」の位置と「あざれ(イズリヤ1-47番地)」の位置、張長守氏が住んでいた労働者合宿所の住所は、イズリヤ1-45番地であるので、その位置は「紅葉館」と「あざれ」の間のどの地点であったと推定できる。

 

当時住所体系現在ていたとすれば朝鮮人労働者合宿所1番地-45紅葉館」(1番地-44あざれ」(1番地-47にあったことがかる地図ると武庫川辺いのあざれ惣川辺紅葉館1キロメートルほどれているがその中間のある地点張長守氏んでいた朝鮮人労働者合宿所があったということになる

 

鄭鴻永先生、「紅葉館女将松本文美さん当時78にインタビューし朝鮮人労働者合宿所事故状況についてねた松本さんは紅葉館くにきな合宿所2つあったが1つはにありもう1つは武庫川辺いにあったという

 

朝鮮人はいたのかという鄭鴻永先生質問松本さんは朝鮮人もいたようだえた。 「工事中事故について松本さんは、「トンネルでの発破事故負傷者がかなりかったとし、「全身さって今日3明日5というふうにまみれになって医師ばれていくのを何度たことがあるした

 

鄭鴻永先生の著書15面に収録された西谷地域で進められた『神戸水道第一次拡張工事-導水トンネル工事目録』。 このリストによると、張長守氏は第4号トンネル工事中に事故で死亡したものとみられる。 彼の住所と工事現場が最も近く、工事時期と死亡時期が一致するからだ。 

 

インタビューをえて鄭鴻永先生松本さんが指摘したところをねたが、「医者んでいた別荘のような建物もなく飯場があったというのはテニスコートになっていたという武庫川沿いの合宿所ビルにも痕跡もなかったがその場所4トンネルが川向こうの水管橋5トンネル入口近であることを確認したという

 

したがって張長守氏あざれ紅葉館くのイズリハ合宿所起居したとすれば参加した工事現場鄭鴻永先生観察通イズリハ付近4トンネル工事だったにいない居住地工事現場地域であるだけでなく4トンネルの工事期間1914818から1916713まで張長守氏死亡日1915324とも一致するからだ(*)