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최승희 이야기

[대금강산보] 6. 『大金剛山の譜』の作曲者、李鍾泰と洪蘭坡

総督府崔承喜双方大金剛山海外PRのための映画だった したがって世界どこで上演しても遜色のない最高水準映画でなければならなかった 総督府最高水準制作費策定崔承喜各段階制作者最高水準専門家選定した

 

大金剛山制作費10万圓策定された 192814日付朝鮮日報<朝鮮映画界現在将来>という寄稿文沈薫(シム·フン)当時朝鮮映画一本最高制作費6千圓だったとした それから10無声映画がトキ映画わり装備やフィルムがくなったとしても朝鮮映画制作費2万圓えることができなかった ところが、『大金剛山制作費10万圓だったので日本有数映画会社日活負担じるほどだった

 

制作費だけではなかった 崔承喜音楽編曲原作脚本衣装照明などの担当者朝鮮日本最高専門家指名観光協会総督府日活映画社文句なしにこれをれた 才能節約しようとしてはいけない映画であることを皆知っていたからだ

 

洪蘭坡は『鳳仙花』と『興士団歌』を作ったこともあるが、日本天皇への忠誠を歌う多くの曲を作曲した親日音楽家であった。

 

崔承喜映画音楽作曲者李鍾泰(·ジョンテ)洪蘭坡(ホン·ナンパ)選定した 本名洪永厚ホン·ヨンウ1897-1941という洪蘭坡すでに哀愁1920)』鳳仙花ボン·ソンファ1926)』作曲家としてられておりバイアリン奏者としても好評ていた そのにも<成仏寺><故郷って><故郷><故郷>など10曲以上歌曲<><>など100曲以上童謡作曲した

 

19317米国シャーウッド音楽学校留学米国留学期間中安昌浩アン·チャンホ先生いる興士団加入単友番号266をもらった 1933帰国した洪永厚京城保育学校梨花女專ビクターレコード京城放送局などで音楽主任教師として在職活発音楽活動った

 

しかし19378修養同友会事件関与して日警逮捕され72日間投獄転向書いて出獄した 以後1941くなるまで音楽著述じて激烈親日音楽家んだ

 

大金剛山主題歌作曲依頼されたのは19372であるため変節するではあったが、「朝鮮音楽のほとんどはめて退役的気分まれていたが西洋音楽特殊例外いてはほとんど軽快かつ荘重という意見洋楽礼賛論者であった そんな洪蘭坡がどうやって李鍾泰テと雅楽雰囲気った<金剛山譜>作曲したのか疑問である

 

一方李鍾泰雅楽専門家としてられていたが1930年日本音楽学校卒業した西洋音楽宮廷音楽など領域わず活発活動した音楽家だった 1930から少年』、『明日』、『金少佐』、『銃後などの親日作品量産した 洪蘭坡途中変節したのに李鍾泰最初から親日音楽家だったのだ ただし朝鮮伝来宮廷音楽西洋楽譜採録したおかげで朝鮮伝統音楽継承者としての業績げたことがめられている

 

1939年1月7日、<東亜日報>の朝鮮音楽座談会に出席した李鍾泰(イ·ジョンテ, 右)と李秉岐(イ·ビョンギ, 左)

 

はこの王職雅楽部める10年間にも日本国歌海行かば(ウミユカバ)朝鮮式雅楽器演奏するように編曲京城放送局でよく演奏したほか中東学校中央仏教専門学校京城高等音楽学院梨花女子專門學校などで音楽京城管弦楽団英米合唱団などを指揮した

 

解放後李鍾泰42というさで入隊、『傷痍軍人』、『祖国賛歌』、『光復10などを作曲軍隊内音楽行事進行するにたり進級その後彼親日行為姿したことで国家有功者として登載されたほか死後には婦人鈴木美佐保国立墓地将軍墓地られるにった

 

洪蘭坡李鍾泰日本による植民地時代卓越した音楽家だったのは事実でありまさにその大金剛山音楽作曲者ばれたのは事実 1937220日夜10崔承喜崔承一とともに最初作曲会議いた4いずれも後日親日人名辞典登録されたのは偶然ではないだろう (*)