以下は、東京の記録学専門家、功刀恵那先生が朝日新聞のデータベースを検索してご覧いただいた、『朝日新聞』東京版と大阪版の記事である。 二つの記事は大同小異であり、間違いや誤字まで同一であることから、一つの記事がほぼ異なる記事を転載したものと思われる。
<朝日新聞、1929年3月28日、大阪版>
(タイトルと小見出し)「ダイナマイト爆發/ 四名死傷す/ 寶塚奧のトンネル工事に/ 焚火で乾かすうち」
(記事本文)「二十六日午前八時半ごる兵庫寶塚奧の長尾山中福知山線六號トンネルの溝掘工事に使用するダイナマイト十本が氷結して使へなくなくつたので朝鮮人土工三名が金網の上にのせて焚火で乾かす內過つてその內の一本を火中に取落したため十本が轟然爆發し土工尹吉文一(21)吳伊根(25)の兩名は約二十間ほど刎ね飛ばされ身體はパラパラになつて慘死し、土工頭伊日善(25)は大腿部に重傷を負うて昏倒し、近くの小屋で炊事中の同人妻揚時善(19)は顔面に輕傷を負つた。」
<朝日新聞、1929年3月28日、東京版>
(タイトルと小見出し)「ダイナマイト爆發して慘事/ 二名死し二名重傷/ 氷結したのを火にかさして」
(記事本文)「[寶塚電話] 二十六日午前八時半頃兵庫縣寶塚奧の長尾山中福知山線六號トンネル溝掘工事に使用せるダイナマイト十本が氷結したので朝鮮人土工三名が金網の上に載せてたき火でかわかすうち過つてその內の一本を火中に取落したため十本がかう然爆發し土工伊吉文(21)吳伊根(25)の兩名は約二十間も飛ばされ身體はばらばらとなつて慘死し、土工頭伊日善(25)は大たい部に重傷を負つて昏倒、近くの小屋で炊事中の同人の妻揚時春(19)は顔面に輕傷を負つた。」
大阪版<朝日新聞>の記事は取材源を表す前書きがないことから、記者が直接取材して書いた記事である。 一方、東京版には「宝塚電話」という前書きがあることから、電話通知で伝えられた記事である。 大阪版と東京版<朝日新聞>の記事は、<神戸新聞>と<神戸又新日報>が明らかにした「尹吉文」と「尹日善」の名を「伊吉文」と「伊一線」に、「余時善/金時善」の名を「揚時春」と報道した。 韓国には伊氏の姓がないので神戸の新聞の報道が正確だと見え、鄭鴻永先生も神戸の新聞の記録に従った。 しかし、今後の調査では、別の名前の可能性も排除せず、注意を払う必要があるだろう。
事故現場の惨状は朝日新聞の報道でもう少し具体化した。 ダイナマイトの爆発現場にいた尹吉文(ユン·ギルムン)、吳伊根(オイグン)さんは全身が破損し、20間(=おおむね36メートル)も空中に吹き飛んだという。 尹日善(ユン·イルソン)さんも重傷を負って卒倒し、病院に運ばれたが目を覚ました。尹日善さんの妻余時善/金時善/揚時春さんは現場から50メートルほど離れた小屋(=おそらく彼らが泊まっていた飯場)で朝食の準備をしている途中、顔に軽いけがを負ったという。
<朝日新聞>はこれらの朝鮮半島を本拠地にしてはいないが、<神戸新聞>と<神戸又新日報>を通じて彼らが「慶尚南道固城郡固城面」出身であることが確認されたので、彼らの所在と人的事項、そして朝鮮の縁故地と縁故者を探すのには十分な糸口が得られたわけだ。
特に、尹吉文、吳伊根氏の縁故地を訪れる際に、尹日善-余時善(金時善/揚時春)氏夫婦と吳伊目氏の人的事項を調査に含ませることができた。 彼らがみんな同じ故郷を持った人々であるだけでなく、互いに兄弟、結婚、親戚の関係で結ばれているのが明らかだからだ。 (*)