최승희1931벌교

[崔承喜1931筏橋公演] 21. 靈山舞

조정희 2025. 5. 14. 21:04

日本語文献には崔承喜朝鮮舞踊作品としてエヘヤ·ノアラげている日本女性誌令女界主催した近代女流舞踊大会(1933520)でこの作品めて発表されたからだしたがって日本発表された朝鮮舞踊エヘヤノアラ』」という叙述しい言葉

 

しかしこの作品はすでに朝鮮発表されていた京城かれた3回新作公演193151団成社でのことだったただこののタイトルはたちのカリカチュアだったすなわちエヘヤ·ノアラ(1933)たちのカリカチュア(1931)改名あるいは改作された作品だったのだ

 

 

ところが、『たちのカリカチュア』(1931よりも時期発表された朝鮮舞踊作品がある。 「靈山舞1930)」がそれだ崔承喜1回京城公演(193021京城公会堂)朝鮮伝統音楽霊山会相伴奏音楽として霊山舞発表したこの靈山舞2重舞崔承喜出演はしなかったが一番弟子趙英愛(チョ·ヨンエ)盧甲順(·ガプスン)出演した

 

靈山舞1回東京公演1934920日本青年館でも発表されたがこの3人舞改作され崔承喜弟子金敏子甲斐富士子加藤恵美子参加した朝鮮舞踊靈山舞上演日本人舞踊家参加したのがにつく

 

靈山舞東京第2回公演19351022日比谷公会堂でも上演されたがこの3つのコリアンメロディーというタイトルだったこの作品構成した3つの作品として民謡調」、「晋陽調とともに霊山調まれた。 「靈山舞1936年以降、「聖山調または聖山舞というタイトルで上演されたこのように崔承喜代表作つにげられるようになった<霊山舞>筏橋公演でも上演された可能性

 

 

霊山舞伴奏音楽仏教音楽靈山會相である。 「霊山会相神霊まったという意味だがこの神霊とは靈鷲山

 

仏経<大梵天王問佛決疑經>には坫華示衆または拈華微笑故事記録されている佛陀説法中言葉ってげてせると戸惑ったが弟子迦葉がその意味理解してにっこりったという

 

迦葉理解した説法つがれずに清浄さを維持するももともと清浄環境かれていてもその本性れないということだったこの説法された場所靈鷲山である

 

朝鮮徐命膺(1716-1787)世祖時代音楽めて編纂した楽譜集大樂後譜(1759)6によると声楽曲霊山会相歌詞靈山会相仏菩薩7文字であったことがらかになった成宗発刊された楽学軌範(1493)5によると、『處容舞BGMとして靈山會相使われていた事実記録されている

 

 

しかし李圭景歐邏鐵絲琴子譜徐有渠遊藝志によると、「靈山會相歌詞本来である(1)上霊山(2)中霊山(3)細靈山」、(4)加樂ダリー」、(5)「三絃ドドゥリー」、(6)「下絃ドドゥリー」、(7)「念仏ドドゥリー,8)「打令,9)「軍楽わったと記録されているその(10)ケミョンカラクドドゥリ」、(11)兩淸」、(12)ウジョカラクドドゥリけられ今日霊山会相12相次いで演奏される器樂組曲になった

 

霊山舞(1930)伴奏音楽としては上霊山だけが使われた可能性この靈山會相元祖であり全体曲のメインメロディーであるためだ。 「上霊山だけでも演奏時間10えるため全曲使うことができず主題メロディーを中心編曲されただろう

 

 

上霊山はコムンゴとカヤグム(弦楽器)ヤングムセピリテグムタンソ(管楽器)とチャング(打楽器)演奏されるが、『霊山舞にはこれらの楽器がすべて使いにくかったためバイオリンとピアノのための洋楽編曲されたり蓄音機使用した可能性もある(jc, 2025/5/12)